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誕生日でした! [自分史]

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私の誕生日の時期が一番イチゴが美味しい!

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小学校の同窓会、「ともだち」を探しに?! [自分史]

卒業していない小学校の同窓会にに呼ばれて行ってきました!?
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といっても私「20世紀少年」の「ともだち」ではありませんよ(笑)

ミステリアスな展開は。。。


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嬬恋の実家新築祝 [自分史]

田舎の実家が本格的な冬を前に新築なる。

というわけで、私が贈ったのが手元にあった祖父母が
旧宅の屋根を葺き直したときの記念撮影↑の写真のパネルです。

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半世紀+1の誕生日 [自分史]

今日は、私の誕生日。齢を重ねて半世紀と1年が経ちました。
過去にいろいろあっても、今が一番いいといえるような人生を歩みたいなと
つねづね思っています。

1歳の頃 群馬か長野の温泉場で撮ったらしい1歳の頃の写真です。 まだおむつをしているので足の長さが四分の一くらい。

実は、誕生日のお祝いは日曜にやってしまいました。(上二人が試験モード、私が締め切りモードなので。) ケーキを焼いてもらいました。三女が手伝っていたようです。
三女からのプレゼント 何がいいと聞かれていたので「ベルト」とリクエストしました。お年玉で買ってくれたようです。 上二人からのプレゼントは、もう少し経ってから届くと思います。きっと。たぶん。


ソネブロさん夜中12時頃も重いのですね。
仕事を終えて上げてみるかと挑戦したのですが。
今朝になってしまいました。


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昭和36年の緑のランドセル [自分史]

この時期テレビでは、新入生のランドセルや勉強机のCMが盛んに流れています。
これは、昭和36年4月の写真です。

当時ランドセルは男の子は「黒」女の子は「赤」が定番でした。
ランドセル自体もまだ少ない頃でした。
白黒写真なので分かりにくいかもしれませんが、私が来ている洋服が紺で
タイツが黒ですからランドセルの肩ひもの部分の色が黒よりもかなり明るいのが分かると思います。
私のランドセルは「緑色」だったのです。
当時、私は嬬恋村の三原という所に住んでいました。
三原食堂というお店から少し中に入ったところに有りました。
当時の家は、このような木造の平屋でした。
このランドセルは、亡くなった祖父が信州の上田という町で買ってくれたものです。
今でこそ、カラフルなランドセルはありますが当時「緑」というのは非常に珍しかったのですが
いじめられることもなく小学校生活を過ごせました。
この頃、家は「貸本屋」をやっていましてまだろくに字も読めないくせに誰よりも早く
「月光仮面」を読むことが出来たのが嬉しかった記憶があります。
私と漫画との関わりがこの時にスタートしました。
<29日追記>

我が家の三人娘の鞄です。
左から長女(マゼンタ)、次女(ワインレッド)、三女(ワインレッド)となります。
長女の鞄はしっかりしていて重かったのです、次女は体力がないので軽いのにしました。
三女は、色が同じでデザインが違うのを選びました。


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浅間山登山!(30年前) [自分史]

昨年の今頃、浅間山が噴火してテレビを賑わせていました。
その1週間前に帰省してちょうど火山博物館に行った時だったので、
壊れた玄関のガラスを見てちょっと怖くなりました。
30年前は、比較的安定していた時期だったので火口までの登山が可能でした。
といってもこのルートで登る人は居ませんでした。

標高1350mの立て札のある場所から矢印のように真っすぐ登れるかという
賭けを会社の同僚がやったのにつきあわされて、案内人をつとめました。
日の出とともにスタートしました。
裾野は、なだらかなのでまだ歩きやすいのですが、
中腹あたりになるとかなりの急斜面になります。

後ろにかすんで見えるのは、白根山です。
(白根もその後噴火して火口に近づけなくなりましたが。今はもう大丈夫です)
休憩していたら、登山道を登っている人たちから頑張れと声をかけられましたが、
「おかしな奴ら」と思われていたことでしょう。(汗)
瓦礫のようにくだけた石なのでかなり登りにくい状態です。
最後は、這うようにして登った火口がこれです!。

白い煙が立ちこめていて反対側はかすんで見えます。
鼻を突く硫黄の匂いが火口に近づくにつれて強くなります。
あまり長く居ない方が良いと言われたので、記念撮影をしてすぐ下山しました。
下りは、楽でした。余力があったので小浅間まで登って降りてから峰の茶屋まで行って
迎えにきてもらいました。賭けに勝った同僚は、下山してからも声も出ない状態でした。
(感動で?!…いえ疲労困ぱいで)
阿蘇山は、噴火で岩がとんできてもいいように避難壕みたいな場所がいくつも
作ってあるのですが、浅間山は、ないので今となっては登るのは、リスクを伴いますね。
群馬にいる時は、山に登ろうなんて考えもしなかったんですが、
千葉に来てから浅間山に登ったら、登山に目覚めてしまいました。
この後、毎年北アルプスに登山に出かけるようになってしまいました。


上高地河童橋1981 [自分史]

今朝は、長女が修学旅行に行くので見送りのため4時に起床。
仕立て列車で塩尻まで行って、塩尻からバスで上高地に入る予定だと
聞いていたので、上高地の河童橋のライブカメラを観ていた。
(12時から15時までいるということなのでもしかしたら写るかなと…)
残念ながら写りませんでした。
上高地は20代に山登りをしていた頃は毎年行っていたので
懐かしく思いながら観ていました。
そうそう、新婚旅行も上高地から奥穂高でした。(忘れちゃいかん)
この写真は1981年の夏、建て直される前の河童橋です。

今の方が丸太が太くなったようです。
千葉は、終日雨でしたが、上高地は晴れから曇りだったようです。
よかった。よかった。
今頃は、ホテルで大騒ぎしていることでしょう。
帰ってからの感想が楽しみです。


32年ぶりの再会 [自分史]

昨日、高校の学年同窓会に参加しました。私のクラスは卒業して1回しか同窓会をやっていないので、実に30年ぶりに同窓会に出席しました。50歳を記念してという企画だったのですが、正直高校卒業した頃に自分の50歳は想像できませんでした(みんなそうでしょうが)、なってみての感想は思ったよりおじさんしてないかな?(多分にひいきめですが)です。高校時代から35年間一緒にバンドをやっているオオカミさん(娘たちはこう呼んででいます)と若くいられるのはバンドやってるおかげかなとバンドの効能を確認した次第です。
30年というのは新成人のとき以来ということになりますが、人生の中で一番いろいろあった時期でもあり話題にはことかかなく、食べる間も惜しんで話に没頭していました。各テーブルを廻っていて気づいたのですが、ドクターストップでお酒が飲めないひとが2〜3人くらい見受けられました。やはり健康第一、日頃の食生活を気をつけていることの大切さを痛感させられました。私は、50人中女性が2人というクラスだったので実に華やかさのかける高校生活でしたが、別クラスの娘と32年経って初めて話をしたなんて言うのがあって(遅いじゃん)なんて軽口をたたいてきたと家で話したら。娘でなくておばさんでしょ。と子供に突っ込まれてしまいました。「今度は還暦のときかな、それまで元気でお互いいようぜ」なんて冗談にならない再会の約束をして夜は、バンドの吹き初めに参加。私の一年はやっぱりこれがなくては始まらない。


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